死を意識すると
物騒なタイトルですが、初めに言っておきます
いまは死にたいとは思っていませんし、少なくとも死ぬ予定もありません
ですが、この心境が大きく自分に関わってきている気がしたんです
まず自分が人生で初めて死を感じのは中学2年生の時
いじめで引きこもってしまった時です
その時は本当に周りが真っ黒でした
自分のすぐ周りには味方はいませんでしたし、自分ですら敵でした
頭の中で幻聴が聞こえるんです
何もしてなくても音楽を聴いていても、いつでも聞こえてくるんです
その幻聴はいつも自分に死を勧めてきました
ずっと、ずっと言ってくるんです
経験してわかりましたが、これは自殺してしまうだろうと、分かりました
ちなみにこの時の自分は。逆の感情を二つの事を感じていました
一つは「本当にあったのか」という感動
そしてもう一つは「自分は死んではいけない」という意思がありました
一つ目の「「本当にあったのか」という感動」というのは一見馬鹿らしいですし軽そうに見えますが念の為に言っておきますがものすごくつらいです
しかし、こういう変な時にも楽しむ余裕があったから生き残れたのかもしれません
一つ目のお陰かどうかはわかりませんが
「自分は死んではいけない」という意識がはっきりとありました
その理由は投稿歴史でも少し話しましたが
自分の好きな分野が誰にも知られていないこと
そしてこれはナルシストが入っていますが自分には価値があると思っていました
自分は大量の情報や知識を持っており、上手く使えると思ったからです
だから自分は、この人は死んでほしくないと考えました
この考えが正しかったかどうだったかは自分では判断できませんが
最近までの活動を見ると、正しかったと信じたいです
ちなみに、実はこれ2012年の8月の出来事で
二つ目のアカウントを作って数ヶ月後の出来事なんです
さて、どちらにせよ このプラスのお陰で自分は助かることができました
しかし、長い長い戦いでした
常に自分の目の前には真っ黒い闇しか広がっておらず
聞こえてくる声は幻聴であれ、実際の言葉であれ、酷いものでした
その中、自分は自分の中に光を見つけ、それを灯し続ける決意をしました
そしてその時、助けてくれた大きな恩人は「音楽」です
そして、そのあとの人生を大きく変えていったのも「音楽」でした
この恩人の為にも、恩返しを、そして救って頂いたこの命をこの方の為に使おうと決意しました
悪魔に魂を売っても、どんな不名誉を受けても、自分を犠牲にしてでも、この恩人達に恩返しを という思いの元、そこから立ち直りました
そして、そこから約8年が経過し、自分の心には違う思いが生まれました
「死にたくない」と
2012年からの自分は、自分を殺してでも恩返しをするつもりでしたし実際に実行しました。その結果は皆さん知っていると思います
しかし2020年らへんでは多くの不安を持ちました
「死にたくない」「消えたくない」「迷惑を掛けたくない」
分かりやすく言えば、怖がってしまいました
それはここでは言えない多くの理由であり、この理由は一番初めの方が強く、2020年頃には凄く弱くなっているはずでした。いや実際に弱くなっていました
それなのに自分は、負けました
もう一つの方角から見ると、そんな怖がっている自分を殺したとも言えます
だから自分は、悲しさや悔しさがあると同時に、嬉しさが存在しています
正直、昔から感情がぐちゃぐちゃな人間だと思っていましたが、ここまでヤバいものだとは思いませんでした
自分は、二つの人生を8年間も無理やり動かしてきたようです