メモ帳

※注意※「色々酷い事を書いているので閲覧注意」

願いと成功

成功するためには強く願うことが大事

と、大抵の本には書いてあります

しかし本を読んだほとんどの人はこのことを否定することでしょう

「願うだけで、空から欲しいものでも降ってくるのか?」と

もちろん、そうです

ただ願っただけでは自分の欲しいものは手に入りません

しかし、本では手に入ったと書いてあります

これはただの嘘なんでしょうか?

 

いえ、多分違うでしょう

これは実体験も混じりますが

なぜ、欲しいものが手に入り、成功を収めるのか

それは行動しているからでしょう

 

本にもその部分を書いてある場合がありますが

大抵は少し後になってから書いてあるので

「願えば叶う」と言った誤解が生まれるんだと思います

 

さて、どんな人でも願えば叶うわけがないという結論になるのは当然ですし

行動するにしても、自分にはその能力がないと否定的になってしまうのもよくあることだと思います

これに関しては自分は特に何も思ったり責めたりしません 当然ですが

 

ですが、自分の昔からの信念の一つに

「言葉よりも行動が尊い」というのがあり

その信念を貫いてきました

確かに駄目な事の方が多かったかもしれませんが

それよりも数は少なくとも大きな、それも多くの人に与えた成功を手に出来ただけでチャラになったと思いたいですね

 

そして、何か成功を収めたいと思った時

その成功の瞬間を想像してしまったらいけません

その行程を想像すべきです

 

成功の瞬間のあの幸せは誰でも手にしたい

しかし、それまでの暗い道のりは想像したくないという気持ちもわかります

ですが、この行程にマイナスな意思を持ちことはおススメしません

例え、この行程における行動が酷いものといえど

プラスに持っていく方法を考え、実行すべきでしょう

それは人それぞれの解決方法があるため

他人の考えをマネするよりも、自分自身を見つめ、答えを出すべきでしょう

 

さて、なぜ成功した人が「私は何にでもなれる」というのか

なぜ、かれらは自分の未来と道を同時に考えるのか

 

それは、自分が今から歩く道だからです

簡単な答えです

ですが誰もが目を背け、嫌うものであります

これを読んでいるとそんなことないと思うかもしれません

しかし現実で見た多くの人はこれでした

 

そして、その道は一つではないということ

また二つ目、三つ目の道だけではなく

一つ目と三つ目が繋がり、合体し一つの大きな道へと進化する場合があることも知らなくてはいけません

少なくても一度の失敗は一度の成功で大きくひっくり返ることは皆さん知っている事でしょう

 

もし、何かで成功したいのであれば

目標と行動をしっかりと思い浮かべ

真っすぐ成功する場合をまず考え

躓きそうなところを出来るだけ見つけ

その対策を考えてください

 

また、行動を起こすときは出来だけ早く

不完全であろうと、時が過ぎることの方が大きな損失です

スヴォーロフの名言で

「戦争において金銭は尊い。人名はより尊い。それよりもなお時間は尊い

という言葉が物語っている通り、この世は時間が大きな問題となります

ですが、急ぎ過ぎるのもいけません

ここも先ほどの想像に戻り

何が足りなくても問題がないのか、そして問題があるのかをハッキリと考え

その対策を考えておくべきでしょう

 

しかし、深く物事を考えていると否定的な思想や考えや思いが巡ることでしょう

ここでやめてしまっても問題ありません

少なくとも自分は責めませんし、誰も責めないでしょう

まだ、誰にも見せていないので

 

ここを越えたいと思いたいのであれば本に書いてあります

それは「成功するためには強く願うことが大事」と

 

自分の勇気は、自分の願いと信念によって後押しされ、動き出し

些細な成功だったかもしれませんが

自分にとって、そして多くの人にとって多くの成功となりました

高度3000m

ほとんどの方は、高度にこだわりや思い出などはないと思います

ただ、自分にはあります

 

空というのは昔から好きで、歩いているときも座っているときも常に上を見ていました

自分は初めてフライトシミュレーターで航空機を飛ばした時は、うまく飛べるようになるまで一週間はかかりました

しかし、苦痛とか、そんなものは一切ありませんでした

何度も挑戦と調整を繰り返し、やっとで飛べた時はとても素晴らしい気持ちでした

それまでは、少なからず恐怖がありましたので

 

さて、うまく飛べるようになり、帰ることもできるようになったら次は戦闘です

しかし、自分の初任務は地上攻撃で、そのあとに旋回戦や高高度迎撃をしました

その時期に、自分は一つ気が付きました

それは、「高度3000mは地上から足が離れた時だ」と

正確にはこれは正しくありません

なぜなら離陸した時点で足は離れているので

 

なぜ、自分はそう思ったのか

これも正確には正しくありません

ですが、人が地上から撃つものの一番初めの物が届かなくなる高度だからです

機銃はこの高度になるとほとんど届かないか、届いてもまずあたりません

そこで初めて、地上の呪縛の一段階目から離れたんだと感じました

 

その次に5000m そして8000m この三つが自分の中に強く刻み込まれました

数キロしか離れていないのに、その世界は地上のどれにも似ず、そして独特な雰囲気とそこを飛ぶ者しかいないんです

その状況を自分は、とても愛しています

 

死を意識すると

物騒なタイトルですが、初めに言っておきます

いまは死にたいとは思っていませんし、少なくとも死ぬ予定もありません

ですが、この心境が大きく自分に関わってきている気がしたんです

 

まず自分が人生で初めて死を感じのは中学2年生の時

いじめで引きこもってしまった時です

その時は本当に周りが真っ黒でした

自分のすぐ周りには味方はいませんでしたし、自分ですら敵でした

頭の中で幻聴が聞こえるんです

何もしてなくても音楽を聴いていても、いつでも聞こえてくるんです

その幻聴はいつも自分に死を勧めてきました

ずっと、ずっと言ってくるんです

経験してわかりましたが、これは自殺してしまうだろうと、分かりました

 

ちなみにこの時の自分は。逆の感情を二つの事を感じていました

一つは「本当にあったのか」という感動

そしてもう一つは「自分は死んではいけない」という意思がありました

 

一つ目の「「本当にあったのか」という感動」というのは一見馬鹿らしいですし軽そうに見えますが念の為に言っておきますがものすごくつらいです

しかし、こういう変な時にも楽しむ余裕があったから生き残れたのかもしれません

 

一つ目のお陰かどうかはわかりませんが

「自分は死んではいけない」という意識がはっきりとありました

その理由は投稿歴史でも少し話しましたが

自分の好きな分野が誰にも知られていないこと

そしてこれはナルシストが入っていますが自分には価値があると思っていました

自分は大量の情報や知識を持っており、上手く使えると思ったからです

だから自分は、この人は死んでほしくないと考えました

 

この考えが正しかったかどうだったかは自分では判断できませんが

最近までの活動を見ると、正しかったと信じたいです

ちなみに、実はこれ2012年の8月の出来事で

二つ目のアカウントを作って数ヶ月後の出来事なんです

 

 

さて、どちらにせよ このプラスのお陰で自分は助かることができました

しかし、長い長い戦いでした

常に自分の目の前には真っ黒い闇しか広がっておらず

聞こえてくる声は幻聴であれ、実際の言葉であれ、酷いものでした

 

その中、自分は自分の中に光を見つけ、それを灯し続ける決意をしました

そしてその時、助けてくれた大きな恩人は「音楽」です

そして、そのあとの人生を大きく変えていったのも「音楽」でした

この恩人の為にも、恩返しを、そして救って頂いたこの命をこの方の為に使おうと決意しました

悪魔に魂を売っても、どんな不名誉を受けても、自分を犠牲にしてでも、この恩人達に恩返しを という思いの元、そこから立ち直りました

 

そして、そこから約8年が経過し、自分の心には違う思いが生まれました

「死にたくない」と

 

2012年からの自分は、自分を殺してでも恩返しをするつもりでしたし実際に実行しました。その結果は皆さん知っていると思います

しかし2020年らへんでは多くの不安を持ちました

「死にたくない」「消えたくない」「迷惑を掛けたくない」

分かりやすく言えば、怖がってしまいました

それはここでは言えない多くの理由であり、この理由は一番初めの方が強く、2020年頃には凄く弱くなっているはずでした。いや実際に弱くなっていました

 

それなのに自分は、負けました

 

もう一つの方角から見ると、そんな怖がっている自分を殺したとも言えます

だから自分は、悲しさや悔しさがあると同時に、嬉しさが存在しています

 

正直、昔から感情がぐちゃぐちゃな人間だと思っていましたが、ここまでヤバいものだとは思いませんでした

 

 自分は、二つの人生を8年間も無理やり動かしてきたようです

自分の投稿の歴史

この話は何度も書いては消したモノの一つです

以前にも語った通り、こういうのを書くことによって誰かの怒りや憎悪を呼び起こしてしまわないかとても心配で、書くたびに心が痛くなり消すのを繰り返していました

ただ、本当に申し訳ございません

あまり自分の事が好きではない方は、本当に見ないで頂けると嬉しいです

多分、不愉快になってしまうと思います

本当に申し訳ございません

ですが、これを書かなければ前に進めない気がして

それに皆さんに自分がどういう人間か知ってほしいですし知って頂けなければなりません

 

なので本当に、本当に申し訳ありません

なぜ自分が動画を投稿しようと決意したのかを書いてゆきます

 

2012年2月頃 当時13歳 自分は動画を投稿しようと考えました

 

当時、軍事と言うと今より有名ではなく、暗い界隈という感じでした

自分の周りには興味を持っている人がおらず

なぜ、こんなに面白く大事なことに興味を持たないのか疑問を持ち

もっとみんなに軍事に興味を持ってもらうために活動しようと決めました

 

しかし、動画の編集技術なんてものはありません

なので複雑で面白いものは作れませんでした

 

そこで自分は3つの条件を重ねて考えました

一つは、自分が今できる編集技術

二つは、自分が好きなもの

三つは、多くの人が興味を持つもの

 

この三つの条件を考えた時、一つの動画を思いつきました

「軍事MAD」と呼ばれる動画です

簡単に言えば、軍事関係の映像に音楽を付けたもので

比較的簡単で、また自分の好きな動画でもあり

また音楽を流行りの物にすれば多くの人の目に付くと考えました

 

とりあえず当時WW2が好きだったので

動画を決め、音楽を決め、制作し

多分3月から4月ごろに投稿しました

 

一か月もしない内に再生数は1万を超えてしまいました

初めての投稿でです

 

しかし、正直に話すと、あまりびっくりはしませんでした

元々、再生数を気にするタイプでもないですし、人が見そうなのを作ったので当然というのもありました

ただ、多くの方に見て頂いたのは本当に嬉しく

そのあと動画を多分5個ぐらい投稿したんですが、問題が発生しました

元々、投稿していたアカウントは色々と個人的なもので

あまりネットで活動したくないアカウントでした

(親に見られるかもしれないので)

 

なので自分は新しいアカウントを作りました

その時、たまたま見ていた画像を気に入り

アイコンと名前にしました「青鳥」と

 

これは後付けの考えですが

青い鳥というのは幸せを運んでくる鳥であり

その幸せというのは情報だと思いました

歴史であれ、現在であれ、知っていれば良い方向へ向かう

すなわち幸せになるという事です

ですが、あくまで情報は見るだけではなく、活用する必要があり

まだ飛べないこの青い雛鳥は、情報が足りていないのか、活用出来ないのか、それとも何も知らないだけなのか

いずれかはわかりませんが、これから成長してゆく という意味があり

そして、成長したら、またその幸せを運び、もっと多くの人へ届けてほしいという願いがあったんだと思います

 

さて、2012年6月頃には新しいアカウントを制作

以前、投稿した動画は使わず、1から新しいのを作り投稿しました

その結果、また一か月もせずに1万再生を越えました

 

そのあとも10月付近まで2~30個ほどの動画を投稿し

大体、いいのでは5000再生付近で平均で1000再生ぐらいで

チャンネルの登録者も200人から300人程度まで増えました

 

ただ、また問題、とは言いませんが事件が発生しました

 

2012年の10月 ガールズ&パンツァーが放送開始

 

当時の軍事界隈がそのアニメの話題で持ちきりでした

興味を持った自分はガルパンを視聴したんですが

とても面白かったです

そして、それ以上に多くの人が興味を持ちました

いままで軍事なんて知らなかったリア友までが知ってたぐらいの人気でした

 

一気に、軍事に興味を持つ人を見て、とても喜びました

しかし、同時に、自分がやっている活動の小ささに少しがっかりしました

 

そして、年を越え2013年4月 艦これ が公開されました

一応、公開前にも軍事界隈で少し話題にあがっていたので

試しに登録して遊んでいたら

なんと、またまた大ヒット

多分ガルパンの波が残っていたんでしょうが

これも物凄く流行りました

これは自分が言わなくてもわかると思います

 

そして、自分はこれで自分の役割は終わったと思い

動画をすべて消去しました

ちょうど1年たった頃です

 

ちょうどこの時期に、このブログにも書いてあるマイクラの戦争鯖へ参加しずっと遊んでいました

 

2013年10月 当時、マイクラの戦争鯖が一旦終了となり暇な時期を、日本のPVP鯖で遊んでいました

その時、たまたま、野良の人が普通のTNTキャノンではなく、めっちゃくちゃ連射するTNTキャノンを作っており、それを見た自分は感動と「もっと改良すればいい感じになる」と考え改良を開始

 

11月前には改良を完了

 

そしてちょうど、自分の誕生日が11月12日で何かの縁だと思い

数日後、投稿(ニコニコだと一か月遅く投稿してます)

 

これが予想以上に伸び、自分が初めて10万再生に行った動画になりました

12月頃にもう一つ、大型の連射型TNTキャノンの動画を上げるとこれも10万再生に到達し、ある程度、Minecraft軍事部で有名になり、色んな方々からお声をかけて貰いました

この時点では登録者は大体500人ぐらいで、総合再生数が50万近くでした

 

ただ、2014年は10個ほどの動画で、あとは目立った活動はしませんでした

 

2015年7月

 

ニコニコ動画に「映画 フランス革命」関係の動画を投稿

これも、当時、マリーアントワネットやらベルばらとかで「フランス革命」という言葉は知っているがどういったものか知らない人が多く

また、youtubuでもニコ動でも、文字や絵ばっかりの動画で

実際にどういったものかは、分からない人が多かったイメージがあったので

そのイメージを変えたいがために投稿したんですが

これが予想以上に再生され、初めて数百のコメントが来ました

 

それからもちょくちょく、ニコ動に投稿を初め

この時期に反英歌(当時は抵抗歌と書いてた)を投稿しました

当時はそんなに反応はありませんでした

youtubuにもちょくちょく、投稿しましたが2017年までは特に反応なし

 

2年後 2017年6月

そういえばニコニコ動画で有名になった「フランス革命」の動画をyoutubuに投稿していなかったことを思い出し投稿

 

そしたら2か月で初の100万再生突破

 

フランス革命の動画に「学校で見せられました!」みたいなコメントが多数来て困惑したのを覚えています

 

2017年の11月12日に登録者2000人と総合再生数が300万を同時に越えました

 

ちなみにこの当時も音楽は投稿していましたが、1万を超える動画はなく

基本的に戦争映画とゲーム関係でした

 

2017年の11月15日の夜11時半頃 チャンネル強制消去される

理由は、ハマスなどの中東のテロリストの歌を扱ったために

ちょうど、投稿した時期に厳しくなり、一気にBAN

しかもGoogleアカウントごとです

 

しかし翌日には新しいアカウントを制作

それが今年の4月まで使っていた「青鳥」のアカウントになります

 

11月16日から再投稿を開始

この時、自分は一つ心に決めました

「どんなに不名誉な事でも、この歴史、軍事、歌を広めることが出来るのであれば甘んじて受けよう」と「この世の歴史、軍事、歌ためならば悪魔とも手を握る」と

正直に言うとこの考えは、素晴らしいと思いますが同時に過激な思想でもあり

考えていた当時の自分でも100%肯定しているわけではなく

少なからず、自分に対し批判的でもありました

ですが、あんなに素晴らしい歴史や歌が知られないことがとても悲しく

まだ有名なあの歌達ならば大丈夫ですが、伝える人がいなくなれば、いずれ消えてしまうのが歴史であり、この世の一部であり、死を意味します

だから、自分は本当に悪魔に魂を売ったんだと思います

多くの人に、自分を犠牲にしてでも受け渡すことを選びました

 

そしてもう一つ、自分は金儲けが嫌いであり、初めから一回も収益化をしてません

それは自分が金のために動画を作っていると思われたくないですし

あくまで歴史は全ての人に解放されるべき情報であり

曲などは出来るだけ制作者に帰したいという願いがあったからです

(幸い、Youtubuが自動的にやってくれたので収益化はしなくて済みました)

 

話を戻し  2018年3月 反英歌とフランス革命の動画が同時にバズる

最高で1日の総合再生数が18万再生に到達し

フランス革命は100万再生を越え、同時に反英歌も50万を突破

しかし、フランス革命の勢いはここで止まります

年齢制限がかかり、視聴数が減りました

 

ですが、フランス革命をブースターに、音楽が一気に有名になります

反英歌シリーズ そして「民衆の歌」が100万を越えました

 

しかし、また問題が発生

この年の5月から自分は東京に友達と上京していたんですがトラブルが発生し、自分の所持金が冗談抜きで0円に、ついでに体重も36kgまで減り、色々やばくなります

実家に帰ったのが2018年の10月頃でした

この時は、あくまで体調ぐらいでしたが、やはり精神的にも色々やばかったです

 

ちなみに2018年の8月頃に投稿した「12の陣形」「戦争概論」の動画が予想以上に再生や広告されて、ものすごくびっくりしました

 

翌2019年の2月頃から親の仕事の手伝いを初め、4月には仙台に独り暮らしを始めます

ですが6月に大問題が3つも発生

一つは、リアルの仕事でトラブルが発生、給料がかなり低くなり、また体重が36kgまで落ちる

二つは、ネットでとても大切で頑張っていた とある作業で問題が発生し、問題解決に走り回り、大失敗

三つは、親友と喧嘩

 

という、この大問題が全部襲い掛かってきました

多分これだけだとあまり伝わらないと思いますが、自分にとって一番キツイ出来事が三つも起きてしまったんです

ここで自分は限界を迎えて、狂ってしまい 鬱状態

 

かなり時間がかかりましたが、なんとかある程度ですが治りました

しかし、性格が元の自分と全く違うものになってしまいました

言動がおかしくなり、以前よりも色々弱くなってしまい

自分は限界を感じました

 

これが今年の2月頃の話です

 

本当に多くの方にご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした

許していただきたいですが、そう簡単に許していただけないと思います

それほどの事を自分はしてしまいました

 

そして2020年4月3日にチャンネル消去をする旨を発表し、6日に消去

 

これが今のところの自分の歴史であり

いままでで一番大きかったものを消した半分の理由です

 

ブログについての悩み

このブログ、自分の書きたいことを書くと言ってまったく書いていないんですが、実は一つ問題がありまして

それは自分が一番書きたいものが書けないという事で

これは自分自身の心の問題なんですが

これを書くと怖いことが起こってしまうんじゃないかと不安になって書けないんです

かといってしまっておきたいわけでもないので、時々自分の心を突き破って書こうとするんですが、すぐに不安や恐怖で消してしまうんです

 

そのせいで、何を書いていいか分からなくなって、結局投稿しない というのが起こりまくっています

 

【第二章】少し前のとあるマイクラ戦争鯖の話【14】日常へ

葬式の翌日には、また砲火が轟いていました

ある者は敵基地へ塹壕を掘り銃撃や狙撃をし

ある者は戦車や自走砲迫撃砲などで敵の基地を砲撃し

ある者は航空機やヘリに乗り、爆弾やロケットを降らしました

 

つい一昨日までの状況へすぐに戻りました

昨日の休戦が嘘のように激しかったです

 

チャットで敵ヘリが接近してくるのを聞いた自分は

ちょうど屋上近くにいたのでRPGを持ち迎撃に向かいました

最上階には対空トーチカがあり

その中から40㎜の対空砲がやや上を向きながら射撃していました

そこに敵のロケットが命中し、乗っていた一人が吹き飛ばされました

 

流石にゲームですが「悲惨だ」と心の底から思いました

 

銃眼につくと右から左へ約200か300m以上先を敵ヘリが通過していきました

流石にRPGが命中するとは思えずそのまま見逃しました

 

数十秒後に真っすぐ正面から敵のヘリが再突入してきました

どうやら基地の一階にいる味方に向けてロケットを撃っているようで

やや急降下しながら攻撃していたので

ちょうど屋上ぐらいの高さまで下がってきました

100mか50mぐらいになったとき、RPGを発射

 

ヘリの数メートル横を通り過ぎ、外してしまい

敵ヘリは急いで離脱していきました

 

これはもう一度攻撃が来ると思った自分は

銃眼から離れました

するとまた数十秒後

さっきまで自分が立っていたところから物凄い轟音が聞こえました

そこにロケットが数十発撃ち込まれ

爆炎で銃眼が見えないぐらいでした

 

そして敵のヘリが離脱するタイミングを狙い

銃眼に近づき、再度RPGを発射

しかし敵は回避運動をしながら離脱するのでまた当たりませんでした

 

こんな感じのやり取りを数回すると

そのうち敵が弾切れをし、帰っていきます

 

ヘリの次は航空機がやってきます

どれも旧式機ですが、立派に爆弾やロケットや銃弾をぶち込んできます

しかも速度が速いので、ほとんど撃ち落とせません

敵の弾が降ってくる時は基地や塹壕に籠り祈るしかありません

 

必至に対空砲などを撃ちあげますが遥か高高度

自分たちの弾は届かず

迎撃に出ようとする航空機が次々、破壊されていきます

 

屋上にあった飛行場は正面の滑走路から攻撃を受けることが多くなり、滑走路の出口を通常の滑走路からスキージャンプ方式に変えたりもしました

 

その時の建設中も敵のヘリや航空機に襲撃され

ブロックを1つ置いたら隠れないと死ぬぐらい激しい爆撃でした

 

ヘリや航空機がいないときは代わりに歩兵や戦車がやってきます

大抵、城壁があるのでそれ以上、侵攻できず

大体50mぐらいを銃撃戦したり、市街地の影からこちらに砲撃したりで

こちらも迫撃砲自走砲で砲撃したり、決死隊が市街地に突入し、戦車や歩兵を倒したり、城壁の間からはスナイパーが覗いており、平原や森や市街地に潜む敵のスナイパーや歩兵と激戦を繰り広げていました

自分たちの日常は常に轟音が響いていないといけないところなんです

 

ふと、当時のマイクラの戦闘と実際の戦闘を見比べてみるとかなり似ている部分が多く、自分がなぜあんなに気に入ったのかようく分かります

【第二章】少し前のとあるマイクラ戦争鯖の話【13】葬式

この鯖には特殊なイベントがありました

それは「葬式」と言われるもの

 

通常、葬式と言えば亡くなった人のために行うものですが

このマイクラの戦争鯖では、一風変わった代物で

なんと、チートや荒らし行為でBANされた方々の葬式です

 

普通、BANされた人の葬式なんてありませんし

大体は文章で、この人とこの人がBANされました 程度で終わってしまいます

ですが!この素晴らしい鯖は「葬式」を始めたんです!

 

さて話は「葬式」の前日から始まります

 

夜10時ごろ、本拠地で作業をしていたらチームチャットで

「明日、葬式やるらしい」と副リーダーだったかが言いました

「えっ?何の葬式なんだろう・・・」と思ったら

「この前、BANされたやつらの葬式だ」と続けて言いました

それを見た瞬間、大爆笑しました

 

だって、今まで見たことも聞いたこともなかったんです

BANされた人達の葬式だなんて

正直、BANされた人たちが良い人かどうかと言われたら普通に悪い人たちでした

なので、特に送別会とかするつもりなんて、一切誰も思っていませんでした

 

その場にいたみんながチャットで大笑いしていました

そしたら副リーダーが

「喪服作るから、スキン頂戴」と

葬式用に、自分たちのスキンを借り

翌日の1時間前までに作って、皆にそれぞれのスキンの喪服を渡したんです

 

さて、夜の11時過ぎから葬式が始まるんですが

会場が、いつも敵対している青軍の基地で行われると聞き

いつもゲリラ活動でしか侵入しない敵基地に堂々と入れるなんて夢にも思っておらず、めっちゃワクワクしていました

 

さて、時間になったので移動をしようとしたんですが

それなりに距離があったので車2台で分乗し向かいました

いつもは激しい銃撃や爆撃戦車や馬が走り回る市街地を通り抜け

敵基地に到着しました

正門が大きく開いており、いつもは上がっている橋も今日は降りていました

橋を渡り、城壁と正門を抜けると、中庭が広々と広がっていました

門をくぐるとすぐに警備員と誘導員がいました

誘導員に従いながら、青軍の本拠地の左側にある

シェルターの前まで誘導され、そこの駐車場に止め、車を降りました

どうやら、シェルターの中が会場のようでした

地下へ続く階段を降り、10mぐらい降りたらドアが見えてきました

 

ドアを開け、会場に入って初めに目に入ったのはもちろん

BANさえた人達の祭壇、一面真っ白な壁

そして部屋の中央には真っ赤なカーペットが敷いてあり

その左右には椅子が準備されていました

自分たちは左側に座りました

始まるまで少し時間があったので周りを見渡していたらびっくりしました

入ってきた入り口のすぐ横に2mほどの台があり

その上にAK-47を持った兵士がいたんです

ちなみにこの会場に武器を持ち込むことは禁止されていました 公式によって

ただ、昨日まで殺し合った仲、誰が銃を乱射するかもしれない状況

たしかに武装した警備兵がいることは間違いではありません

武装禁止だったので一瞬ギョっとしました

 

それから、各国の参加者が続々、入室してきました

全員、顔見知りです

 

つい1時間前まで戦っていた人達ですが、様々な人が来ました

 

10分ほどしてから、葬式が始まりました

 

司会が青軍リーダーと鯖の運営者が務め

初めの挨拶を始めました

「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございました」

そこからBAN者達の紹介

「なんか調べたら色んなアイテムを取っていたので今回葬式を執り行うことになりました」

など、笑いを誘う場面もたくさんありました

 

一通り、話が終わると、お坊さんをお呼びし、本当のお経を読み始め

そしてお焼香が始まりました

各国が順番にお焼香していくんですが

棺桶にごみを投げつけたり、入れたりして、とても敬意がありました

20分程度、お葬式が続き終わりが来ましたが

何やら火葬まですることになりました

 

会場はせっかくなので、赤軍(自分がいる国)でとなり

移動することになりました

外に出た時、本当に現実で味わうような、なんていうでしょうか

イベントの後の外という感じがしました

 

さて外では、棺桶を運ぶのをどうするのか話し合っていました

霊柩車なんて戦場にあるわけがないのでどうしようかと

最終的に、軍用トラックで運ぶことになりました

帰りも車に分乗し、各国の人達と一緒に青軍の基地を出たので

車が10台近く、軍用トラック(霊柩車)1台、戦車2台、ヘリ1機 という

はたから見ると暴走族のような感じで、市街地を通り、故人の最後のドライブをし

赤軍の基地に到着しました

自分は一旦基地に入り、城壁の上に登り、火葬の様子を眺めていました

そのころにはゲーム内で夜になり、いい雰囲気の中、火葬が始まりました

 

初めは、トラックに火炎瓶を投げ、燃やそうとしたんですが中々燃えなかったので

溶岩の池を作り、そこにトラックごと突っ込んだんですが

ゲームの使用上、トラックが燃えず

最終手段で、RPGをトラックにぶち込み、爆散させ、火葬が終わりました

検索結果

ウェブ検索結

多分、言葉では伝えられないぐらい、素晴らしいイベントでした

準備から終わりまで、とても手が込んでいて、面白いところがたくさんありました

 

ちなみにその後、ノリで他国に見学することになり、様々な国を案内してもらいました

数時間だけの停戦でしたが、今まで経験したことがなく

クリスマス休戦もこんな感じだったんだなあ と当時感じました