メモ帳

※注意※「色々酷い事を書いているので閲覧注意」

なぜ日本軍は突撃したのか

今回もほとんど自分の意見と記憶で書いていますのでご注意ください

まず初っ端から憶測ですが少しフランス軍とドイツ軍が絡んでいると思います
というのも幕末から旧日本陸軍できてからは両方教えており
(正確にはフランス式からドイツ式になった)

当時の基本戦術として突撃が主流だったからだ
だが、皆さんの知っての通りその後の第一次世界大戦でこれは間違いだと
気づくというのを知っていると思いますが

なぜ、突撃なのか

これは簡単です
歩兵しか陣地突破できるものが居なかったからです
このためWW1以前の各国は突撃が主流でその基本を教えていました

だがここでこれが大きな間違いだと思ってはいけないです
話からずれますが、当時の状況を考えた上で考えれば
なぜ、そうなったのかを理解できると思います

そしてWW1の前の日露戦争で一層突撃の重要性が分かりました
かの有名な二百三高地での戦いなどで要塞を落とせるのは歩兵だけど
これも勘違いしないでください
当時にはこれしか突破方法がありませんでした
戦車も航空機もいない時代です

その後の日本は、火力主義と浸透戦術を主として行きます

ん?火力主義? と思うでしょう

日本軍が火力主義というのはこれも日露戦争の影響です

当時の一番威力があるのはもちろん大砲でした
ですが旅順要塞時に砲弾が不足しており
トーチカ用の榴弾がありませんでした
そのためにあの犠牲が出たと言ってもいいですし
他の数々の戦いで大砲の重要性が増し、数や不足していた日本軍は
急遽大砲や八九式重擲弾筒のような軽迫撃砲を配備していきました

そして、兵士を突撃させ敵の後方へ浸透させる
浸透戦術が進化していきました

しかしこれは大方間違いではなく
WW1ではドイツが実践し大成功を収めた戦術です

ただこの後は皆さんが知っているように機甲の時代へ移行していきます

なぜ日本は歩兵のままだったのか


主に2つの理由が考えられます
一つは突撃が有効だから
二つめは戦車が不足しているから

この2つが組み合わさった場合、必然的に歩兵重視へなります
このためできるだけ兵の消費を抑えるため浸透強襲戦術が使われました

ちなみにここに一つ面白い話があります

当時戦っていた中国軍も近い戦術を取っていました
というのも中国軍の基本戦術が簡単に言ってしまえば挟み撃ちで
それも面白い物でした

普通 別働隊が敵の背後に回って主力が正面から攻める
そして攻撃が始まったら別働隊が背後から攻撃をかける
というのが基本的な挟み撃ちにするときのものですが
中国軍は主力を敵の後方に展開させました
なので敵が正面の攻撃に驚き後退した時が勝負です
普通なら同時に攻撃してくるものがしてこなかったから
挟み撃ちの可能性はない と油断して撤退した瞬間
油断した敵を奇襲する そういう戦術でした

え!敵の後方に展開できるなら簡単に倒せるじゃん!

と思うでしょうがこれが日本軍には通じなかったのです

この中国の戦術の弱点は簡単で正面の別働隊を倒せばいいんです

この点は日本軍は理解しており
朝鮮戦争時、日本軍に従軍していた韓国の将軍が中国の戦術を見抜いていました
余談ですが朝鮮戦争の時、米軍はこれにボコボコにされました
そのため一時期中国恐怖症が米軍に広まったぐらいでした

正面の別働隊を倒してしまえば逆に敵の戦線へ穴ができ侵攻できます
逆に中国本隊はどんどん敵の懐の中へ追いやられ
自然に包囲されてしまう形になってしまいます

そうなれば敗北は必須 なので中国軍は別働隊がやられたら
攻撃を中止しすぐさま撤退しました

そのために日本軍にとある空気が流れ始めます
そうです 日本軍は強い と
後はご存じの通りというわけです

ですが最後に一つだけ言いますが
日本軍は基本的に無能だというのがありますがそれは違うと言っておきます
当時の米軍は様々な証言を合わせると素晴らしいと言っていいほどの戦いぶりです
いつも突撃してるように思うでしょうがそれは絶対違うと断言できます
米軍ほどの合理性はないですし優秀な司令官も多くはなかったですが
本当に善戦しました 
お願いですから一つの事だけでは判断しませんようにお願いします


様々な方の様々な誤解が解ければいいと思う最近です